スポーツ産業という魔物

スポーツを巡って、様々なことが起きています。アメリカンフットボール、アマチュアボクシングをはじめとして、長期にわたりトップを続けることがどれほどの「イエスマン」体質に変身していくかを我が国民は見てきました。それも、わずか数ヶ月の間にです。

 

「スポーツ産業」と言われます。その裾野は広く、体育館などの建設にあたる人たちにはじまり、その施設運営者、鉄道をはじめとした交通産業、施設周辺の飲食事業。これらが複雑に入り組んでいます。そして、地方単位のチームが県威発揚のためのスローガンのもと、国体・全国大会というものがあり、(一応)平和な世の中における国威発揚の場として、ワールドカップやオリンピックなどの大会で、疑似戦争のような競い合いが行われています。

 

紀元前後、アテネで戦争を一時中断して行われたオリンピックの起源を考えれば、元々平和を望んでいたにもかかわらず、国王の国勢拡大に従わざるを得なかった国民(兵士)たちのささやかな抵抗であったのかも知れません。

 

現代社会においてもドーピングというルール違反を犯してまでも最強の勝者になりたいという覇者の論理に蝕まれてしまうことの愚かさを知るべきだと思います。

 

これは政治の世界でも同じことを感じます。長期政権が生まれたならば、トップに忖度する勢力が広がり、国政選挙であれば公認を得るために思想信条に関係なく盲従し、あるいは自らの勢力を維持するために対抗勢力を貶めるためにか、色々なスキャンダルが報道(リーク)されたりしているのを見るにつけ、トップの資質によって、周囲が物事をお膳立てしているのではないかと考えざるを得ないようにすら感じてしまいます。

 

話を戻しましょう。

 

民間が体育施設を整備するのであれば、政治に関わる人間があれこれと言う必要はありません。様々な規制をクリアして行われるならば、政治に関わる人たちの出番はないでしょう。しかし、多くの体育施設というのは、「国民の健康維持」のような「市民のため」という大義名分によって税金を使って施設整備が行われることがほとんどであり、民間が行う施設整備であっても周辺整備に税金が投入されることがあります。

 

視点が少し違いますが、観光施設の誘致においても同じことが言えます。観光客誘致のために税金を投入し、施設を作ったとしても施設費や維持費に莫大な費用をかけて、そのことによって市民生活に不便を来すことがあればこれは本末転倒の公費投入ということになります。施設を作ったけれども、観光客誘致に失敗して、なおかつ住民サービスが低下したときの責任は、住民全体で負担することになるのです。そして、その方針決定は首長が方針を打ち出し、議会の承認というプロセスを辿るのですが、結果責任はすべて住民負担となるのです。

 

今や、年に何日かしか使わない、いや数年に1度かも知れませんが、「客間」と呼ばれた部屋を持つ家庭はほとんどありません。体育施設の利用計画が明らかでない中、施設規模だけが先行して進むことはナンセンスです。今の彦根市に「客間」の規模がどれだけで、その利用頻度がどれだけだという保証がない限り「首長のときのシンボル」としてのランドマークは不合理でしかありません。市民の税金を使わせていただくという、そのことの説明責任を果たさない限り、市民の納得は得られないはずです。何とかリーグの試合を年間に何日誘致するのだというのであれば、その証拠を出してから規模の議論をするべきです。

 

市民の税金を使って行う施設整備とはそういうものではないでしょうか。

 

国民の税金を使う国レベルの問題も同様であって、「我が家の客間」に置き換えて考える必要が、今こそ求められているのではないでしょうか。

 

 



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